6度目
4時以降に寝ると次の日夜になるまで動けない。
夏休みになってから、何度も空が明るくなるのをカーテン越しに眺めた。
昨日はぎりぎり4時過ぎに寝たから、今日はぎりぎり洗濯物を干して、掃除をすることができた。
堕落した生活はこの夏が最後かもしれない。
最後であってほしい。
最近は起きる間際に夢を見る。
今日は引越しの夢を見た。
6度目の引越し
訳も分からぬまま、荷造りをするように言われ、詰める箱の大きさに手惑い、なかなか進まない。
けれども、もう明日には終えていなければならない。
ここで初めて引越し先に疑問をもつ。
母親に尋ねると、学校のそばに決まっていると告げられ、わたしは心底落胆した。
学校があまり好きではないし、学校の周りはもっと嫌。侘しい町だから。
なんで?なんでそこなの?と泣きたくなるくらい嫌がって、暫くして、もう決まっているのだから仕方のないことだと諦めた。
諦めるスピードが思っている以上に早くて、成長を感じる。
扶養されている間は仕方がない。
去年の引越しで、あれほど泣きじゃくって悲観して前の家の写真ばかり振り返っていたのに、こんなことにも慣れはくるのだ。
そもそも住んでいる年月が違うのだけれど…
目が覚めて、ここでの生活が続くことに安堵した。
カーテンの隙間から風にゆれる白いTシャツがみえる。
それ以外なにもいらない。
3年前
自分の許容範囲を超える出来事の数々に打ちのめされ、友人に助けを求めた。
時間を作ってもらい、事の端末を聞いてもらい、遊んだ。
誰も、自分が欲しい言葉はくれなかった。
それは「くれる」という期待と図々しいわがままでしかなかった。
人に言ってもどうにもならないことであふれていることを知った。
それまではどうにかなるという余裕が浅はかであったし、未熟な考えだった。
でもだからこそ、人から打ち明けられた悩みは真摯に聞き、結果論ではどうにもならないことについて、ただ噛み砕く作業を一緒にできればと思って、なるべく否定はしないように、優しくあれるように、自分の話にすり替えないように気をつけた。
とくに、自分の話にすり替えることはほんとうに意味がないし相手に追い打ちをかける可能性もあるのだから、絶対にしてはいけない。
それなのに、なにも手放すことをしない貪欲な人間に対して、自分の話をしてしまったことの後悔を情けなく思う。
写真を見返していて強く思った。
ベランダにしゃがんで見る空はせまい。せまいのに美しくて、写真のように切り取られる世界は信じられると実感する。
今年も蝉が異様にうるさい。