おとな
だめだめだ、ほんとうにいつも。
寂しくてどうにかなりそうだ。
ひとりでいるのは慣れているのに、
人といる時間が長いと、またそれにも慣れて、そこからひとりでいる状態を慣らすのに時間がかかる。
時間がかかるのに、数日後にはまた人といる一週間が待っている。
前の二つの現場は、ともに準備期間がしんどくて、これで映像業界はやめようと思って臨むのに、また現場に行ったらそんなことを思っていたことすら忘れてしまう。
どちらが夢で現実なのか。
日常で繰り返されるあらゆることの中で、感情は毎秒変化し、泣いたり笑ったりしている。
昨日の自分は今日の自分ではないし、数秒前の自分も今の自分ではない。
現実や夢の境目とは何なんだろう。
映像業界は自分にとって夢なのだろうか。
実際に現場へ行ってみると、夢に近づくどころか、現実に向き合わざるを得なくなっている様に感じる。
夢は、何だろうな。
就職して週に5日、9時から18時まで仕事をして、出来れば恋をして、そのうち結婚して、家族になって、暮らしていくこと。
出来ないことはないから、やろうと思えばできるけれど、中身は結局変わらないまま、違和感を感じ続けても、それすら感じなくなっても能動的に働く力がなくなっても、その場凌ぎで、けれどもたまに溢れる幸福に身を寄せて生きていくこと。
そうした暮らしの選択を夢を諦めることであるとするならば、わたしにとっての今の仕事は夢ということになる。
ずっとこのまま下っ端のままでいるわけにはいかないし、自分だけのことを考えて生きていけるほど、ひとりでは生きられない。
未来のことはだれにも絶対に分からないけれど、これまで見聞きしたものや周りの人間が言っていることをもとに大雑把に想像して、その都度迫られる選択を決断していかなければならない。
将来をよく考えろとおとなはよく言ったもので、考えたところで思い通りにはならないことは彼等が一番よく知り、経験しているはずで、それでも考えたり考えなかったりしたことが自分の後悔や成功の理由だと思っての助言なのかな。
あの時、彼等の言うことをちゃんと聞いていれば、なんて思うことがあるのかな。
その可能性はなくはないか。
何も分からないということは絶対的な事実としてあるけれど、あらゆることの可能性は無限にあり、絶対なんてない。
それに、結局決めて行動するのは自分自身で自分の人生を生きるのも自分自身以外何者でもない。
そのとき自分が最善だと思うものを選んでいくしかない。
それ以外に何がある?
これでよかったと思える日こそが自分の夢だと思った。
その為にできることは、何かを学び続ける以外に見つからない。
見つからないならそれを続けることが今の自分の最善であることは間違いないから、それを信じたいと思う。