むりです!

帰りの電車で、セブンで購入した黒糖パンを食べる。

育ちが悪そうに見えているのだろうか。

でも誰も彼も携帯に夢中であからさまに迷惑そうにしないし、こちらを見向きもしない。

 

昨日初めて会った人は、約束の場所に来なかった。

来ていたのかもしれないけれど、会えなかった。

名前も連絡先もしらない。

彼は酔っていても覚えているからね!と言ったけど、やはり酔ったときにする約束はあてにならない。

わたしばかりいつも覚えている。

記憶の共有ができないのは少しだけ寂しいけれど、もう気にならない。

といいつつわたしも、大事なことすらメモをしなければ覚えていられなくなったし、興味のないことや人との出来事はすぐに忘れる。

 

昨晩は最低な夜だった。

それで、色々思い出したり振り返ったりした。

名の知れている人と関わって、自分も特別だと勘違いするようなことは絶対にしたくないと思っている。

4.5年前は足繁くライブハウスに通っていたけれど、そこから遠のいた理由もそれだった。

毎回ライブを観て感動して、わたしも明日からがんばろうと心に決めるのだけれど、当たり前だが決めたところで行動しなければ何も変わらず、いつも心に決めただけで、何か変わったと錯覚してはただただ無力で自信のない自分がそこにいるだけだった。

そんなときに『監督失格』を観て、何かを強烈に作りたいと思って、毎晩映画の団体を探していた時期があった。

初めは監督と助監督だけの自主映画のチームに入れてもらったが、私の未熟さが前提にあり、制作がなかなか進まないことや公私混同されたことなどなど、こちらにもあちらにも不満が溜まって、最後は自分から嫌な辞め方をした。

その間に、何かできることを増やしたくて、コント集団のスタッフも始めたが、当日の受付など作業のようなことしかできず、毎回悔しく、虚しかった。

公演が自分のようなスタッフが少しでも力になっていることは重々承知で、自分の頭で考え創造したことを形にしたいという想いがあったからこそ悶々としていたのだと思う。

その表現方法が長らく分からず、スタッフは続けながらも、ステージに立つ人たちに追いつきたい、肩書きが欲しいという想いが強くなっていった。

原動力はいつもその人たちとの関わりの中から生まれた。

(あと、当時好きだった人にがんばってるなと思われたいというのもとても大きかった)

その間写真を撮り、映画を観て、勉強もそれなりにしたし、しらべて考えて答えを出すことから目を背けなかった。

人と話すことも3人以上の飲み会も苦手だったけれど、言葉をほとんど発せなくても、とりあえずそこにいるようにした。

その場凌ぎだと感じつつ、人といるのは寂しさから逃れる手段だった。

それでも体力のなさからくる心労は積み重なるもので、スタッフをやっていたときは、度々出逢う新しい人間に目が回って、またその団体への不満や打ち解けられないことも相まって、泣きながら帰ったり、吐いたりしたこともある。

今となっては、何がそんなに大変だったのか首を傾げるようなことばかりだが、全てがはじめての自分にとって難しかったのは理解できるし、それがあったから今があると心から思える。

そこでの出逢いにより新しい景色を見ることができて、ものをつくるということを久しぶりにして、没頭することの楽しさを思い出す日々だった。

 

 

そんなことを気にする自分は、ひねくれていて可愛げがないんだろうなあと思いながらも、自分にはできないから、他のことで自信を付けるために努力をし続けなければならないと思う。

だから今晩も本を読んで眠るのです。

 

兎に角休みたい。

生活を取り戻したい。

現場が終わって1日半休息して、また現場に行って、前の組のひとたちとわいわいご飯を食べて、その日は電車がなくなって車で送ってもらって、その次の日から3連勤して、毎晩人と会う予定があって、昨日も久しぶりの休みを睡眠で終わらせて、夜からまた飲み会に行って、流されて訳もわからず朝まで過ごして、またバイトへ行った。

朝まで起きているのは疲れたけれど、明日もいつもの友人らと過ごす予定だから、また不規則な生活になる。

ひとりになりたいし、気持ちを落ち着かせたい。

ひとりになりたいとふとした時に何度も呟いてしまう。

心がずっと休まらない。

人付き合いがどんどん適当になり、人に対して薄情になっていっている気がする。

逃げることばかり考えていたこともあったけれど、今は疲れ過ぎて逃げる気力もない。

全てがめんどくさく感じる。

何かを断る判断能力もなく、このままだと色んなことをずるずると引きずったまま年を越すことになりそうだ。

疲れ過ぎてもうほんとうによくわからない。

わからなくても、決めなければならないことややらなければならないことがある。

 

好きな人から返事がない。

返事もなければ、それまでしていた会話も仕事の話。

仕事の話ばかり。

わたしがその人と同じ仕事の道をやめたら、きっと関係性がなくなるし、会うこともなくなる。

これまで人を好きになると、のめり込むように好きになって、四六時中その人のことを考えて、そのことで頭がいっぱいになっていたのだけれど、現場中は思い出さない日もあったし、好きという感情がなくなるときもあった。

こんなことは生まれて初めてで、実はそこまで好きじゃないのかな?と思ったりもした。

 

でももうそれもどっちでもいいや。

なんで今日がクリスマスなんだろ。

全然そんな気分じゃないし、疲れ過ぎてなんもしたくないしどうでもいい。

とりあえず寝る!

始発から一本後

最近だめだめ言い過ぎてたな。

クランクアップできなかったけれど、ひとまず一昨日で現場が終わった。

正直体力的な面が割としんどかった。

前回は3時間睡眠でも気が張っていたからぎりぎり動けていたけれど、今回はずっと睡魔が付き纏った。

寝坊が恐ろしく怖く、昨日の朝は、今寝てて良いのかと焦って飛び起きた。

学生が自分以外いなかったから変な慰め合いや愚痴の言い合いなどはなく、それでも同世代の人がまあまあ多かったのと、ほとんど怒られなかったから、さほどきつくはなかった。

泣いてしまう程のことはなかったし、何かあっても優しく声をかけてくれるひとばかりだったから、どれも耐えられるようなことばかりだった。

最終日の最後の方で派手に転んだときも、心配して煙草吸いにいかせてくれたり、そんなことあっていいのかと思うくらい助けられた。

昨日から生理が始まり、睡魔もそれで余計に酷かったのかと納得。

それにしても寝てばかりいる。

数日前の撮休の日も、昨日も、起きて煙草吸ってご飯食べて寝てを繰り返して、1時過ぎには寝てしまっていた。

 

表現しないで分かってもらおうなんて甘えだという誰かの言葉を、自分の戒めとしてたまに思い出している。

初対面の人と会うことがとても多くなってきたけれど、知り合って数日で自分を出すのがなかなか難しい。

経験も浅いし自信もないしで、どうにもこうにも言葉がそもそもうまくでてこない。

喋れはするけれど、言動がなかなか控えめになってしまう。

かといって言葉で説明しても、そんな言葉でなにかを語れるとは思えないし、表現は直接的で説明的な言葉だけではないしな…とか色々と考えてしまった。

 

これを書いている間、現場前にココナッツディスクで購入した2枚のCDをやっとかけて聴いている。

夕方からはまた別現場の最終日に行く。

めちゃくちゃアウェーだなあ、緊張する。

 

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呼吸

毎日だめだめで、人に迷惑をかけながら限界を突破し続けるのは情け無い。

流石に身体も頭ももう動かない状態になってしまったけれど、明日からまた駆け回る一週間が始まる。

今回はプロしかいないことと人数が少ないプレッシャーで、そろそろ食べ物を受け付けなくなってきた。

先週までの現場の途中からすぐにイライラするようになって、次第に言葉も荒々しくなって、全然人に寄り添えない。

9月から学校やバイトや撮影以外の予定をほとんど把握できず、直前に入る打ち合わせや撮影準備でドタキャンを繰り返し、なんとか時間を作っても、卒業制作と映画制作のことが頭を離れない。どんどん信頼を失っているように感じる。

それでも今はそちらに注力したいから、少しでも余裕を持てるように、人と過ごすプライベートの予定を3日以上前から入れることは、当分控えることに決めた。

人と会うことが息抜きになっても、やるべきことを後回しにすることは変わらず、不安が募るだけだと思い知った。

兎に角今は、明後日からの現場をやり遂げることだけ考える。

おとな

だめだめだ、ほんとうにいつも。

寂しくてどうにかなりそうだ。

ひとりでいるのは慣れているのに、

人といる時間が長いと、またそれにも慣れて、そこからひとりでいる状態を慣らすのに時間がかかる。

時間がかかるのに、数日後にはまた人といる一週間が待っている。

前の二つの現場は、ともに準備期間がしんどくて、これで映像業界はやめようと思って臨むのに、また現場に行ったらそんなことを思っていたことすら忘れてしまう。

どちらが夢で現実なのか。

日常で繰り返されるあらゆることの中で、感情は毎秒変化し、泣いたり笑ったりしている。

昨日の自分は今日の自分ではないし、数秒前の自分も今の自分ではない。

現実や夢の境目とは何なんだろう。

映像業界は自分にとって夢なのだろうか。

実際に現場へ行ってみると、夢に近づくどころか、現実に向き合わざるを得なくなっている様に感じる。

夢は、何だろうな。

就職して週に5日、9時から18時まで仕事をして、出来れば恋をして、そのうち結婚して、家族になって、暮らしていくこと。

出来ないことはないから、やろうと思えばできるけれど、中身は結局変わらないまま、違和感を感じ続けても、それすら感じなくなっても能動的に働く力がなくなっても、その場凌ぎで、けれどもたまに溢れる幸福に身を寄せて生きていくこと。

そうした暮らしの選択を夢を諦めることであるとするならば、わたしにとっての今の仕事は夢ということになる。

ずっとこのまま下っ端のままでいるわけにはいかないし、自分だけのことを考えて生きていけるほど、ひとりでは生きられない。

未来のことはだれにも絶対に分からないけれど、これまで見聞きしたものや周りの人間が言っていることをもとに大雑把に想像して、その都度迫られる選択を決断していかなければならない。

将来をよく考えろとおとなはよく言ったもので、考えたところで思い通りにはならないことは彼等が一番よく知り、経験しているはずで、それでも考えたり考えなかったりしたことが自分の後悔や成功の理由だと思っての助言なのかな。

あの時、彼等の言うことをちゃんと聞いていれば、なんて思うことがあるのかな。

その可能性はなくはないか。

何も分からないということは絶対的な事実としてあるけれど、あらゆることの可能性は無限にあり、絶対なんてない。

それに、結局決めて行動するのは自分自身で自分の人生を生きるのも自分自身以外何者でもない。

そのとき自分が最善だと思うものを選んでいくしかない。

それ以外に何がある?

これでよかったと思える日こそが自分の夢だと思った。

その為にできることは、何かを学び続ける以外に見つからない。

見つからないならそれを続けることが今の自分の最善であることは間違いないから、それを信じたいと思う。

そのまま

ふたつめの現場が終わった。

話をいただいてから撮影までは約1ヶ月弱で、時間の経過が驚くほど早かった。

準備期間は合間にゼミ、卒制の撮影、二つのバイトがあって、休む暇なく、記憶はあてにならなく、ケータイのメモだけが頼りだった。

イン前は久しぶりに鬱状態になって、もうこの仕事はやらないと決めて臨んだ撮影だった。(仕事といっても、今回は無償だったのが悔しい。しかも、現場中に口座から2万消えているのも悲しい。)

撮影が始まってからは毎日怒られてたけれど、自分がやらなければいけないことが多くあったから自意識が生まれる隙もなく、怒られてもへこまなかったし泣かなかった。

前回の反省を生かして動けたことも多く、現場外で怒られることは余りなかったから、出来るだけ取り零すことなく吸収できたと思う。

学生の子が多かったから、自分は慰められる側じゃなくて、慰める側だったのも、立場の変化を実感した。

映画制作自体にお金がなく、車がほとんど出なかったから、毎日2万歩は歩いて、走って、部屋に帰ったら気づけば寝てた。

こんなこと部活以来で、3時間しか眠れない日が2.3日続いても、意外となんとかなることを知った。

お金を貰えないのに、自分で判断しなければないことが多く、責任があったけれど、消えものや美術は好きにやれたから、良かったことも勿論ある。

 

現場は終わったといえ、振り返ればほんとうにいろんなことが滅茶苦茶だった。

組によって常識が違うことは何となく知っていたけれど、適応するのが難しく、それを覚えるのも一苦労だったし、滅茶苦茶なことはいつまで経っても整理がなされず、その場凌ぎでも撮影できてしまうし、クランクアップを迎えられたのも事実だ。

終わってしまえば、また日常に戻り、次の現場もそれぞれ決まっている。

落ち込んでいる暇もなければ泣いている暇もない。

 

今日は、気合を入れる為に髪の毛を切った。

この短さは高校生ぶりかな。

前の組の人たちに会って元気を貰ったから、明後日から始まる組も思う存分やりきりたい。

毎日だめだめで、誰の言葉も?信用できない。?

その様な数日間でしたが、なんとか取り戻した!と思っても、目の前のタスクは変わらず、見切ったところまではいいとして、逃避に走って、更に焦りを増幅させる悪循環が恐ろしい。

それでも内側には物語が生まれ、どこかに向けた眼差しは情が深まる一方、けれどもおこないがなければ、意味をなさない。

続けなければ、会えない。

ただ、一緒にいたいだけでは、だめですか?

不在がその人の存在を強くすることは知っています。

いないのと、いるのにいないのは違う。

4駅先にいるのになあ、と思いながら今日も最寄りの駅で降りるのです。

 

映画を観たいと思わなくなりました。

関係者の告知が鬱陶しく感じるようになりました。

憧れって、蓋を開けてみればだいたい虚しいものです。

つねに、能動的である修練を重ねるしかないのかな。

 

好きな人と一緒にいられる日が訪れますように。

支離滅裂ですが、わたしの祈りはそれだけです。

あかるいみらい

やっと抜け出せた、やっと居場所ができた

と思えたのも束の間

その間にこれまでのことを粗末にしたから、

今になってつけがまわってきた

それが3ヶ月間の出来事

破った多くの約束

優越感を感じていたことは、もう既に価値を見出せない

何かに入れ込むような精神状況では、持続しない

 

それと、4年ぶりに鬱

気づかないままだったら、もっと大事になっていたと思う

やるべきことをするのが、困難になってしまったのはもう仕方がない

集中力もなくなり、肩凝りが酷い

すこしずつ良くなる様生活を改善したい

今の現場が終わるまでは辛抱だ

今の現場を引き受けなければよかったと思う反面、引き受けなければずるずるそこに居てしまったと思うから、これでよかったのだと思う

 

これから信頼を取り戻すのは簡単にはいかない

簡単にはいかなくとも、態度で示していく他ない

気持ちを少しずつでいいから切り替えよう