ランニング

今日は無性に寂しくて泣いてしまった。

具体的な出来事がなくても、これほどまでに気分が沈んで涙が出るのは、何故なのか。

どこへいってもどこへもいけない。

いつも自分ではない誰かがかわりに生きているようなかんじ。

それでも、自分が行ったことや言葉には責任が生じる

どこか他人事

 

家には、母親だけだったから

その母親がいなかった日々のこと、そしてそれから数年経って出て行ってからの日々のこと

離れて暮らす様になってから、正直に言うと、罪悪感が減った

恵まれているという罪悪感

悲しいことがあったほうが、自分の不誠実な部分を責めないでいられる

自己陶酔的な想いに泣いているのだと思うと、途端に恥ずかしくなる

それでも、涙は流れる

 

子供がいて、大人がいて、おじいちゃんやおばあちゃんのいる家族に、強烈に憧れを抱いた。

憧れがあると、虚しさが募る。

内側は矛盾だらけ

矛盾していても、その矛盾こそが人間だと思う

反対に、矛盾がないものは嘘に見える

 

ずっと、幼い頃の欲求を引きずって生きている

折り合いをつけられる日はくるのだろうか

誰かを愛し、愛され、家族になる未来に想いを馳せる

叶うかもしれない未来

未来に託すことは、現在を生きていない証拠

現在猛烈に欲するものが手元にないならば、未来を見るしか現在を生きるのが難しい

モチベーションをなかなか保てない

記憶の限界を超えるほどやることがあるから、なんとかなっている

時間が過ぎ去るのが早い、集中できる、わくわくする、それらはただ一人でいる時間を埋めるだけのものならば

私は一生孤独を知らないまま、

愛を知らないまま、

何かを勘違いしたまま、

何も手に入れることができずに

終わりを迎える

 

泣き疲れたから眠くなってきた

最近は走ってばかりいる

走るというのは、何も考えないでいられるから好きだ