あたまのなかでものを考えすぎて、眠りにまで侵食してきた。

電車でのいっときのうたたねさえ、ものすごい力で歯を食いしばるようになった。

それに加えて胸がくるしい状態も続いている。

 

自分がなににむかってがんばればいいのかわからない

所属感がないのが原因だとおもって、興味のある団体を徹夜で探していた時期から一年たって、その間行動してみたもののなにもかもうわの空で、手元に残ってるものはなにもない。

なんのためにやってるだ?と思ってしまって、ひとのためにやろうと尽くしたけれど、公私混同されたり表面的な部分で判断されたりして、こんなんならなにもいらんわって思った。

団体を進めていくにはそのなかでポジションがあって、決まりごとがあって、そこがひとつの世界になるわけだけれど、ひとりの人間としてみてもらえないことがつらかった。

そうやって物事を捉えることは、自分ともひととも向き合わないで逃げてるみたいでかっこ悪くてゆるせなかった。

でも、そんなのいいわけでしかなくて、ただ人と向き合って傷つくのが怖いだけなのかもしれない。

 

ひとからわかってほしい、そのままでいいよと言われたいと強く願った反動で、だれかのことを真剣にわかろうとはなしを聞いて、だれかにそのままでいいよと声をかけ続けた。

でも、他人同士がほんとうの意味でわかり合うことは不可能だし、そのままでよくないこともいっぱいあるって最近気づいた。

そうしたら、これまで自分が発してきた言葉の多くが綺麗事に思えて、今まで無視してきた目に見えるものに意味を見出してしまって、自分にとっての正解がますますわからなくなった。

もうなんでもよくない?って思ったら、次はなにをしんじればいい?それがわからず、こうして考えがおさまらない。

今まで救いだった映画をみたり本を読んだり美術館へいったりすることは、さらに自分を疲れさせているようにかんじる。

新たな芸術にふれるたび、選択肢が何倍もふえて、気が遠くなる。

ひとといるときは楽しくて忘れるけれど、別れたとたん、会う前よりももっと一人というかんじが強くなって、不安を拭うようにまた頭をつかいはじめる。

そういうことが具体的な出来事ではないからひとに話してどうこうなるものでもないし、どう言葉にしたらいいのかそもそもわからない。

わからないことばかりだわ。

写真を撮ることは唯一続けているけれど、自分の写真すきだなあと思うときもあれば、詰りたくなるほどなんの価値も見出せないときもある。

どんな写真がよくてわるいのか、その判断基準もひとそれぞれであって、写真に限らず、すべての物事はそうあるはずなのに、他人からの絶対的な自信のよくないに打ちのめされそうになる。

難しく考えすぎとたまに言われるけれど、自分の中はこうも単純なのに、周りが複雑だからそれを許容するためにそうしているだけなんだから仕方がないじゃんとおもって泣きたくなる。

もうなにが言いたいのかわからないな。

 

あたまがいたいから一気に書いた。

ねむくなってきた、寝る。