そのまま
できないことに執着しないで、さっさと寝て早よおきてご飯食べて学校行けばいいのに、いつまでたっても夜は長いし、寂しくて寂しくて仕方がないし、体調崩さないとちゃんと寝ないし、自己管理能力の低さに驚く。
ベランダのマリーゴールドに水やりもすぐ忘れるから、自分の限界は足首くらいまでしかないのだと思う。
こんな自分にこれからも付き合うのか、と何度失望したことか。
そうやって失望しながらも
たまに物凄い勢いでこれまでの人生を愛して、出会ってきた人たちのことも愛して、今一緒にいたい人たちのことを心の底から、涙が出るくらいに大事に思って。
でもそうやって思い続けるための自信が全くないから、その気持ちは一瞬しかもたない。
その一瞬がくるのをたよりに、わたしは朝起きて掃除してバイトへ行って人と話す。
自分が何人もいるような気持ちになる。
だからすぐに疲れて、自分が自分に嘘をついていることへの罪悪感に苛まれて、自分に良くしてくれるひとのことも平気で傷つけちゃう。
口に出さないだけで、なんていうけれど、いわないから存在しなくなってることなんてたくさんあるよ。
それでも確実に自分の中にあるってことがほんとうに恥ずかしくて、怖くて、どうにもならない。
表現することもその方法もすこしは身についてきたはずなのに、
それでもまだまだ感情との齟齬はうまらず、寝る時間を削るしかないような気がしてくる。
もう2年も経つのに、まだ、受け入れられない許せないことが自分の中にある。
そのままでいいよ、なんてそんな虫がいい話ないからさ、自分で自分にそうって言ってあげたくて、居場所を探したり写真で物事の捉え方を表したりしたけれど、やっぱり自分一人で自分のことを許すことが難しくて、今でも夜、心が緩くなって泣いてしまう。朝起きて胸が苦しいことにも、慣れてしまった。
多分、だれかにさっきの言葉のとおり、そのままでいいよ、と言われても、ひとりという事実が目の前に今よりももっと大きくそびえたつのだと思う。
だって、自分が許せていないのだもの。
これからもこのだれも介入できない、自分で明らかにしてしまった部分をもって生きていくと思うと、果てしない。
「走れ、絶望に追いつかれない速さで」
わたしの一番好きな映画
この題名のように、とにかく走って走って走って走って逃げるしかない。
できないことはやらなくていい。
やろうとして実際にやっちゃうから悲しくなるのかな。
挑戦しないことには進歩がないけれど、それは元気なときにすればいい。
もっと元気に、手放しで人のことをぎゅっと抱きしめられるようになったら、いろいろやってみたらいい。
人と比較しない。
自分を基準にして、こつこつできることからはじめる。
やらないことを責めるひと、思えばまわりにいないのだし、やっぱり自分の意識を自分なりに少しずつ変えていけたらいい。
もう、なんでもいい。
こだわりをどんどん手放して、しきれたとき、また新しいなにかが生まれるのかもしれないし、またなにかが死にゆくのかもしれない。
わからないことを怖いと思わなくて、いいんだよ。
生きているだけで大丈夫です。