2018.11
SNSをみると自分だけ取り残されているみたいで、あー死にたって呟いちゃう。そのくせ何においても責任を負う気はないから、この呟きは際限なく自分の中に蓄積されていく。
この冬は三回目
ひとり抱きしめるように聴いていた音楽が他人とのコミュニケーションツールになるなんてきいてなかった。
いつまで経ってもむかしがよく見える。
あれもいやだしこれもいやだ。鬱でも寝不足でもない、ただの性格
むかつく、とか、うざい、とか、そういう言葉がなんだかんだたよれる、しょうもないなあ
表現てなんなんだろうな文章すらまともにかけないのに、誰にわかってもらえるっていうんだろう。寧子は5000分の1でがまんするって言ったけど、5000分の1もわかってもらえたらそれだけであと3年は生き延びられる(気持ち的に)。
思ってもないこというのやめたいのに、思ってもないこと言っちゃうのは、人と話しているという緊張と相手にこう見られたいという捨てきれない欲
欲にまみれることは、裸をみせるより恥ずかしい
たったひとりにたいして責任を負う気がない
責任
今日、すばらしいライブを観て、その途中に自分は責任を負わない限り理想はずっと夢のままでおわるって確信した。ご飯をかちゃかちゃするところでのライブなんて、ご飯を食べながら彼女の音楽をきくなんて…と怒っていたのに、始まったら彼女の音楽に聴き惚れつつ目の前のフィッシュ&チップスに心が奪われていた。そして、構わずボリボリ食べた。そういうことなんですよね、わたしが言いたいこと。
ここまで書いたこと、めちゃくちゃ?
国語の勉強やりなおせとか、そんなんで大学いける?っておもわれる?
人にどう見られてるかきにする人生、まじで疲れる
わたしとしては、齟齬があまりなくて好き勝手に連ねられて気持ちがいいです。
それがすべてなのにね。